TOTOデヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ルカサーのインタビュー

FM ヨコハマ「BPM2022」今夜の「Music World」はTOTOのデヴィッド・ペイチとスティーヴ・ルカサーのインタビューをお送りしました。
聞き逃してしまったファンの方のためにアーカイブを!
Q:「ロザーナ」は、どのようにできた曲なのか?

以下:(D)デヴィッド・ペイチ(S)ウスティーヴ・ルカサー

D:昔ながらのやり方で書いた曲だよ。家のピアノで、自分の持てる限りのものを1曲に放り込んで書いたんだ。

そして出来た曲をメンバーに聴かせ、リハーサルをした。

当然、僕にもこういう曲にしたいというアイディアはあったが、あの曲のカラーを決定付けたドラムのイントロを思いついたのは、天才とも言えるジェフ・ポーカロだよ。

クインシー・ジョーンズは”曲にどんな色(カラー)を施すか”という言い方をしていたが、バンドの良い点はそこだね。

それが自然に起きるんだ。僕が弾き始めた曲に、スティーヴがギターを乗せ、気づけばあっという間に曲が出来上がっていたんだ。

S:そう。俺が覚えている限りでは、本格的なリハーサルはしなかったんじゃないかな。

デヴィッドが持ってきたアイディアをピアノで弾いてくれて、全員で「このパートは誰が歌う?」みたいに話し合う。

二人のリードシンガーに合うように君がキーチェンジをするアイディアを出したよね。

最初が俺、次がボビー。グルーヴも君の当初のアイディアに、ジェフが提案して、当時聴いてた音楽の要素を加えたんだ。

D:スピナーズやオージェイズといったフィリーサウンド、街角のビバップグループっぽくね。

S:さらにバーナード・パーディとジョン・ボーナムを掛け合わせたようなドラムグルーヴも加わって、一気にジャムセッションが始まり、「今のいいね!」とか言いながら、2テイクもしないうちに曲は出来上がっていたよ。

D:そこにスティーヴのハードエッジなギターが乗ることで、曲にハードさが加わり、シンセソロとギターソロによって、曲が一段と高いところに引き上げられた。

あとはジャムセッションだよ。曲のアウトロの部分は僕らなりのリトル・フィートへのトリビュートって感じなんだ。

 S:そう、僕らは一旦曲を終わったと思ったんだ。でもジェフがビートを叩き続けたんだ。

ボ・ディドリー風のグルーヴっていうのかな。元々、君が思い描いてた世界だろ?で、ドクター・ジョン風のピアノを君が弾いて…

D:お前もギターを弾き始めて…

S:完璧にアドリブのセッションだった。「今の部分もちゃんと録音したか!?」ってね(笑)

Q:「アフリカ」がどのように生まれたのか?

 D:実はアルバムのレコーディングは全部終わっていた。その頃、手に入れたばかりの新しいキーボードー特にYAMAHA CS80のサウンドがすごく好きで、何気なしに弾いて遊んでたんだ。

たまたま弾いたあるリフが頭から離れなくなってしまい、そこからピアノでコーラス部分を書き、言葉もどんどんと浮かんできた。それまでの曲とはちょっと違う曲だったが、メンバーに聴かせたところ「なんとかもう1曲なら入れられるかも」という話になったんだ。当時はアナログ盤の時代だからね。

あれはワールドミュージックというか、ループを使って実験した曲なのさ。アル・シュミットなんかと。

S:ジェフ、レニー・カストロ、ジョー・ポーカロなども参加して、とにかく規制のルールなんか無視して作った曲だった。

Q:TOTOが他のバンドと違うユニークさはどこにあると思うか? 

S:TOTOをジャンルの箱に入れることはできないんだ。ハードロックだ、メタルだ、ポップだ、ファンクだ、とね。

でもその全てを僕らはやれる。そのことがロック評論家たちを惑わせたのかもしれない。

最初の曲「ホールド・ザ・ライン」は根底にファンクなグルーヴは流れていたものの、基本ロックソングだった。

でも同じアルバムには「ジョージー・ポージー」のような曲がある。「本当に同じやつが歌ってるの?」とみんな思うわけさ。かと思えばデヴィッドが歌う「アフリカ」はまた全然違う。

どのアルバムでもそうだった。全てのアルバムに「アフリカ」のような曲があったならよかったけど、ヒット曲とか、グラミーとか、それは狙ってそうなるのではなく、どこからともなくやってくるものだからね。

誰よりも驚かされたのは自分達自身だったけど、もちろん嬉しいことなんだ。

一番最初は「ホールド・ザ・ライン」のヒット。あの時は夢が叶いつつあるぞ、という思いだった。

二つめが『TOTO 4』だったとすれば、3つめはまさに今。

こうやってキャリアを積み、『TOTO 14』を受け入れてもらえていること。

悲しい出来事も幾つかあったが、それをポジティヴに変換し「僕らの中に残っているものがあるのだとしたら、それを全部出しきろう」と思ったのさ。

この後、もう1枚アルバムを作るか?と言われたら、それはわからないけどね。

 Q:かつてと今…TOTOはどう違うのか?日本のファンへのメッセージ

S:精神は年をとらない。年をとるのは肌だけさ。音楽という自分が熱くなれることを仕事にできるのは、

ごく限られた人間だけ。年齢を重ねるごとにそのことを感謝するようになったよ。

これだけ長く音楽を続けてこられたことは、なんて光栄なことなんだと。

決して常にチャートの上位にいたわけではないが、一発屋のように捨てられることもなく、ずっと進み続けてきた。

うさぎとカメの話と一緒。うさぎはぴょんぴょん先へ行ってしまう。俺たちはのろまなカメだった。

どれほど殴られ、嫌われ、評論家に叩かれようと、バンドメンバーが抜けようと、不幸にも失おうと、何かが俺たちを一つにしてくれた。それが何だったのかはわからない。

忍耐力だったのか、強い欲求がそうさせたのか。最終的に全てがうまく行き、何十年の月日、流行やスタイルを越えて音楽が生き延びたこと。

自分でも「俺たち、よく頑張ったな」と感心してしまうくらいさ。それってクールなことだろ?

決して俺たちは誰よりも最高のバンドなわけではない。どれほどパンチを食らおうとも、前に進み続けただけ。

そんな俺たちをどんな時も好きでいてくれたファンがいた。

TOTOが好きなことがダサいって思われる時もだ。そういうファンにどれだけ僕らが助けられたか、心からの感謝を述べたいよ。日本のファンはその最たる例だ。

1980年に初めて日本を訪れた時、その反響はクレイジーなくらいスゴかった。

以来ずっとだ。何が起ころうと、日本に行けばいつも僕らは仕事ができたし、受け入れてくれるファンがいた。

日本と僕らの関係は特別なんだ。日本のファン、いや、ファンなんて子供みたいな言葉じゃなく友人とあえて言いたい。40年間、僕らの音楽をサポートしてくれた日本の友人には大きな借りがある。心から感謝を述べたいよ。ありがとう。

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